「萎縮し行く印度画界の為に 荒井寛方氏印度に渡る」『東京朝日新伺』大正5年7月26日

「萎縮し行く印度画界の為に 荒井寛方氏印度に渡る」
 日本美術院同人として俊秀の聞えある画家荒井寛方氏は今回、美術院先輩等の推薦によって来朝中の詩聖タゴール経営のビチットラ美術学校教師に招聘され来る十一月印度に向け出発する事となった。

 夫に就いて下谷区上根岸八十二の寛方氏の門を叩くと、今し弁財天の揮毫中であったが筆を措きて氏は語る

「印度に赴くようになった動機は来朝中のタゴール氏が近時萎縮せんとする印度の画風に鑑み、日本のノビノビした筆致や複雑なる意味を含む線芸術を吹き込みたいという趣旨から、然るべき日本画家を物色中、横山大観、下村観山、原富太郎の諸氏が私が予て印度に憧憬して居たという事を知って居らるるので其選に当った訳です、実は十年来一度は仏画の根本たるべき印度本来の宗教観念を味わいたいと思うて居たのであるから今度の行は願ってもない好機会です、ビチットラ美術学校はタゴール氏の邸内にあって主としてタゴール氏の甥に当る印度一流の画家オボチンドロナート・タゴール氏が静かに二百名余りの子弟等と共に美の世界に浸って居る。私が参りましても到底画を教えるという事は出来ませんが、兎に角印度絵画と日本絵画との橋渡しになるから十分研究しようと思って居ます。印度の画も、かのアヂャンターの壁画の如き大きな手法精神の発露したものもあったが、近来凡ゆる意味に於いて小さいものになって来たことは否定する事は出来ぬ故に、務めて我画風の真髄を紹介する積りである。私は英語も何も出来ませぬが、タゴール氏は美術は説明するものではないと云はれて、言語等の不通は歯牙にも掛けません。印度へはタゴール随行の画家ムクールチャンドロ・デイ氏と同行の都合になって居ます。
          (『東京朝日新伺』 大正5年7月26日)

印度から日本への使命(読売新聞 大正5年6月12日)

 「印度から日本への使命 詩星タゴール氏の大獅子吼」

詩聖タゴール氏は東京へ来て唯一度だけ大講演がし度いと望んでいた、其の実現を見たのが十一日帝大法科八角堂に於ける「印度から日本への使命」と題する約一時間に亘る講演である、
午後三時開場と云うに校庭には二時間前早くも聴衆が群集って春慶塗の扉の開くのを待っている。振鈴と共に堂内に雪崩れ入った聴衆は一千を数えた、
帝大の諸教授、都下各大学専門学校教授宗教家文学者が前方に肩を並べ、その間に多数の男女外人が居た、午後四時、山川総長の案内で着席した詩聖は、乳色無装飾の印度服に濃茶の頭巾被って、静かなその目は八角堂の窓を透す午後の日光をジッと凝視しては時々深く目蓋を蔽う、
山川総長の簡単な挨拶に次いで詩聖は徐に壇に上って草稿を胸に捧げた、
「詩想の中に生活する私が公衆に向って講演するのは似合しからぬことでありますが―」と説き起しての一時間の英語演説は、楽の音の調と云おうか読経の厳かと云おうか、例えば清流の流れる如く、銀鈴を打振るがごとく、其の波打ち渡る余韻は、さながらに心霊そのものの言葉を聞くようであった、
言東方文明の運命に及ぶや眼は輝き声は震えて調べは高く早く、一度西方文明の批判に入れば渾身の声は唇を伝えて細く鋭く、忽ち心の奥深く探り入り聴者の霊を地より呼び起さざれば止まない、正午後五時、講演を終って詩聖は夕暮の色浅き八角堂を去った、

講演の大要を記すれば、亜細亜の生命は過去になり、退歩は亜細亜の運命であるとは屡々聞くことで、我々も時にそう思ったが、今日の印度はこの批判に反抗し反って自分を誇大視している、誇張は何の益も無い、亜細亜が眠っていた間に日本は夢を破って進歩の勇者となった、
亜細亜にも有力な国や文明が嘗てあり、欧羅巴が暗黒の内にあったときに文明の矩火を挙げて居たと思えば、亜細亜は天性退歩の大陸では無い、時は廻って東方は夜と眠りに入ったが生命には眠りもある、眠りは新しい生命の休憩である、心の生活には古い考えを固定して新しい観念を入れぬ順向かあるが固守は心を倦怠にする、活きた理想は動いている生活と触れねばならぬ、
日本の目醒めに驚いた世界はこれ一時のシャボン玉で無いかと恐れたが、日本はその真正の力を確実に表現した、日本の何物にも無限の面影があり宇宙の霊を信ずる心がある、日本は悠久の過去と云う深い水中から生れた秀麗な蓮のように咲いた、加之らず日本は近代文明を処理する大胆と熱心とを現わした爾余の亜細亜国民はこれによって活きて行くには殼を脱いで生活の危難を除かねばならぬと知った、古い種にも生命があるから、これを新しい土壌で養うことを日本は告げた、
日本は西洋文明を模倣したのでない、単に物質文明を知るだけの科学は人間性に背く、知識は借りても天性は借りられない、食物それ自らで生命が出来るのでなく、生命が食物を消化して真の力にするのである、
西洋文明では個人と国家、労働と資本、男性と女性等の詩的問題がまだ解決されずに居る、日本はこの提出された問題を解決して真と美と生命とを世界にもらさねばならぬ、日本の今日の驚くべき革新は古代からの平和と愛の賜で、機械や競争や外交によって霊性が出来だのでは無い、

今日の印度は外来者を国土へ迎えた為めにその分裂に苦しんでいる、これは外来者の罪で、印度は霊性で諸人種を調和している、西洋文明は相互排斥を主義としているが、これは宇宙の道徳法を無視しべ国民の名で道徳を破る、それで個人の幸福の得られる筈は無い、西洋人は東方文明を批判して動かないと云う、それは汽車は動いて進み、大樹は静止しているが大樹に生命あるを知らぬのである、
戦うには走らねばならぬ、理想は静かに成長していく、欧州はその自動車に乗って、野辺に伏す我等を動かぬと見るが彼等はやがて車上に餓えて|我等に食を求める、その時を静かに待てばよい、
勿論欧羅巴にも多くの長所はあるが、残念ながら人道に面して立つときに彼等は恐ろしく弱い、自利の為めには恐ろしく強い、東洋の路は政治的でなく社会的、機械的で無く精神的で、我々は自分の文明と世界の歴史とを調和せねばならぬ、種子は足に殻を破るときが来た、日本は近世文明に対して高く深い人道の生気を吹入れなければならぬ、蔽う雑草を刈って光明と自由とに進む日本の生命の理想は、たとえば彼の萬峰に秀でた富士山のようである」云々(「読売新聞」 大正5年6月12日)

タ翁文明を呪う 美しき声で多大の感動を与う『東京朝日新聞』大正5年6月3日

○ 「タ翁文明を呪う 美しき声で多大の感動を与う 大阪に於ける講演会の盛況」

 本社主催のタゴール氏講演会は一日午後六時から天王寺公園公会堂に於いて開催された、午後四時前から聴衆が犇々と詰掛け六時頃には早満員となり其数三千に達した、定刻に至るや本社員石橋為之助氏開会の挨拶を為し次いで佐野甚之助氏登壇、タゴール氏の人格と印度の風物に就いて紹介を為す、八時頃に至りタゴール氏は河口慧海師並に本社員同乗の自動車を駆りて会場に着せり氏は白色のベンガル服を海老茶の土耳其帽を頂き悠々と休憩室に入る、
やがて氏が河口慧師こ付添はれて壇上に表はるるや三千の聴衆は一斉に拍手した、かくてタ氏は魚岩楼の座敷で興に乗じて新たに書換へた英文の原稿「印度と日本」を朗読する、其声朗々として天使が美しい自然を賛美して居るようである、朗読は二十五分余りも続き此間針の音もしないような静粛さであった、
タゴール氏講演の趣旨は大要を摘記すれば
『予は日本を或点に於いて少なからず誤解していた、日本は世界新進の強国として短日月の間に列強を凌ぐ地位に達したものなれば必ずや諸般の点に於いて詩的ならざる国ならんと思っていたが、今回来遊するに及んで其の全然誤解なりし事を悟った、美しい碧空と優しい桜花とを以て聞こえる日本は予の詩惰をそそるに十分である、予が貴国に漫遊を企てたのは決して突然のことに非ずして実に若年の頃よりの希望であった、『東』と『西』と相交叉せるき国を親しく訪れるは予に取って誠に興味ある予期にして殊に古来仏教上に於いて印度と日本とは密接なる関係があり印度の宗教が故障なく伝えられて居る日本を訪ねる事は予の最も喜ぶ処である、而して今日の文明は言う迄もなく機械的文明、物質的文明で之に中毒せる世人は徒らに五官の快楽を進むるに過ぎず、従って彼等は人間としての真実尊き内的本性を失うに至るのである、之れ物質的文明が精神的文明を王迫するに至ったもので蓋し大なる犠牲と云わねばならぬ、斯くの如き偽文明は之れを除かざる可らず今此国を見るに物質的には進歩して居るが精神的には梢(やや)退歩せる如く見ゆ、併し此国に真の文明があれば必ずや物質的文明の圧迫に打勝つ事が出来る、予は抱迄も此の国に於いて内心の美しさを見出さなければならぬ、然り予は之れを見出し得べきを予期する』
というのである、
タ氏降壇するや河口師も其明晰なる口調で夕氏講演を通訳した徐、タゴール氏に関し一言述ぶべしとてタ氏が茶法を知らずして村山氏の別邸で其妙所を発見したのは実に驚かざるを得ない、
氏は茶席でジッと見て居られたが「此処に日本の礼儀作法の微妙な点が在る」と言われた、
此礼法の中に礼譲礼節の微妙が含有されて居るという事がタ氏に依って知られたのは誠に喜ばしい事であると述べ尚氏の学徳を賞えて降壇、九時三十分閉会したがタゴール氏は一行と共に自動車に同乗し箕面線池田町なる渡逞白水氏別邸に入りで一泊し二日再び神戸に赴くべし (『東京朝日新聞』大正5年6月3日)

ガンジーの国はどこへ 人の弱さを抱きとめる 「ニッポン人脈記」朝日新聞4月4日夕刊

 インド東部のコルカタ(旧カルカッタ)から鉄道で2時間余り。森の主のような巨木がそそり立つ緑の中に、タゴール国際大学がある。キャンパスにはモダンな彫刻が立ち、笛や太鼓の音も響く。
 インドの詩人、ラピンドラナート・タゴール(1861−1941)が1901年に建てた学園だ。地元では「シャンティ・ニケタン(平和の園)」と呼ばれる。
 タゴールはアジア初のノーベル文学賞を受賞したが、その人物像は、日本ではあまり知られてはいない。
 8歳若いガンジーと比べたこんな逸話がある。
 ガンジーは学園に来た際、女生徒にサインを頼まれ、こう書いた。「軽率な約束はせぬように。だが、一度した約束は命をかけて守るべし」
 次にサインを請われたタゴールは書き添えた。「誤りと思えば、約束は投げ捨てよ」
 厳しく禁欲を説いたガンジーに対し、タゴールは人の弱さも抱きとめたのだ。
 この逸話は、米ハーバード大教授のアマルティア・セン(門)が著書や講演で紹介している。センの祖父がこの学園の教師で、センも学園で生まれ育った。
 センによると、学園にはタゴールの人柄が表れている。
 授業は、雨降りでなければ原則として屋外だ。マンゴーの樹下で、教師の講義を学生が聴く。自然の懐に抱かれて学ぶ者は多くを手にするという考え方だ。タゴール自身、小学校で落ちこぼれた教訓が生かされている。
 学園には日本や中国から来た教師や留学生が多く、センの外国への関心を刺激した。
 センがまだ少年だった43年、東インドが飢饉に襲われ、200万人以上が餓死した。センにとって、村の道ばたに横たわる遺体は、貧しいインドの原風景になった。
「大飢僅はなぜ起きたか」
「貧困はどう克服できるか」
 そんな問いが経済学を志す動機となり、センは後にノーベル経済学賞を受げた。
 タゴールの生誕から5月で150年。「平和の園」を世界遺産に登録申請し、新しい博物館を建てる記念事業が進んでいる。
 中心になっているのは、タゴール国際大の博物館副館長ニランジャン・パネルジー(36)だ。
「博物館には日本コーナーを設げ、日本との文化交流拠点にするのが夢」という。
幼い時、切手集めで浮世絵に出会った。日本の工業デザインやアニメにはまり、99年、麗沢大に留学した。
「すべてにきっちりした日本が初恋の相手」だ。メールアドレスは「Kokoro(心)」。自宅には南部鉄器の茶釜や伊万里焼が並ぶ。
 甲状腺がんを抱え、7回も手術をした。パネルジーを息子のように可愛がり、気遣うのは先輩のセンだ。治療の資金支援をしたり、手術の度に医師に電話で声をかけたりしてくれる。

 タゴールが異文化との対話を進めた時代、日本は日露戦出争に勝った新興国だった。
 タゴールは日本に強い関心を抱き、5回も来日。美術史の岡倉天心、実業家の渋沢栄一らと交流した。画家でもあったタゴール日本画にほれ込み、日本画家の横山大観菱田春草をインドに招待した。
 講師として招いたのが、仏画家の荒井寛方(1878−1945)だった。
 荒井は学園に2年住み、屏風や襖絵の技を教えた。帰国後は、インドの情感漂う画風で大正時代の画壇にインドブームを起こした。荒井の故郷、栃木県さくら市には、ゆかりの博物館や「寛方・タゴール平和記念公園」がある。
 タゴールは帰国する荒井に、はなむけの詩を贈った。
「荒井さんがはじめ私の家へ入った。帰るときには私の心の家に入った」
 荒井の孫の会社員、河合力(59)はタゴールに接するうち、素朴なメッセージに魅せられた。今、パネルジーと連絡をとり、日本でタゴール記念事業を準備している。
 河合は言う。
「日本は豊かになり過ぎ、忘れ去ったものがあまりに多い。今回の原発の事故は、お前たちはいったい何をしているのか、と大自然が問いかけている気がする。自然の中で、実りある精神文化を求めたタゴールの生き方を見つめていきたい」(竹内幸史)

光をともせ 自らの光を タゴール

次のタゴールの詩を、東北地方太平洋沖地震の全ての被災者の皆様にお送りいたします。
頑張ってください。皆様のご健康と御無事を毎日祈り続けております。


露季なる女性が 秘かにサリーの裾を拡げた。
部屋部屋に呼び掛けたーーー「立ち並ぶランプに 光をともせ 
光をともせ 自らの光を。 光をともせ 大地を光で 飾りつくせ」
今 花園に花なく コキル鳥、ドイエル鳥は歌を歌わない。
岸辺岸辺で  草が枯れ落ちる。
黒い疲労と落胆よ、去り行け、立ち並ぶランプに 光をともせ
光をともせ 自らの光を 光の勝利のメッセージを 聞かせよ。
神なる星が 今じっと見つめているーーーー目覚めよ 地の男よ女よ、
光で 夜を目覚めさせよ。
暗闇が来た。 昼間がつきた。
  立ち並ぶランプに 光をともせ。
光をともせ 自らの光を。
  この暗闇に打ち勝て。

我妻和男著「タゴールー詩・思想・生涯」麗澤大学出版会より抜粋)

再見。深謝。

野呂元良 3月21日/東京杉並

みんなの中の一つの命

テレビの報道では、被災地のかたがたが、日本人力を信じ、共に支えあい がんばっている姿を目にして、
逆に勇気をもらっています。
「自分より被害者のかたがたのほうがつらいので、早く 被害者のかたがたに支援を届けてほしい」
「日本人なら 必ず立ち直れる」
「被災地の体育館で 親子の再会に大拍手」
計画停電は、被災地の人から思えば ありがたい」
他 他 
タゴールが信じ、語った 「日本から 新たなる日イズル」は、日本人の心の奥底に存在していたことを痛感します。私も、必ず良くなることを信じ、日本が新たなる再生に向かい、私もみんなの中の一つの命として 生き続けます。
今日は、少し 暖かいので 被災地のかたがたも少しは寒くはないことを願います。
ターミー

今日も一日  嬉しいこと ありがとう をばねにして がんばりたいと思っています。

今日は、寒さがましていますが、被災地のかたの寒さや食料 他 物資支援もまだまだ届かず
心痛む映像が続きます。
そんな中、東京や神戸他の都市が、使ってない住宅の受け入れが始まることを知りました。
ありがとう。

新しい命の誕生。ありがとう。がんばって生きてほしい。
災害復興の中 尽力を尽くしてくださっている多くのかたがた。ありがとう。
町のお店で商品を売って下っているかたがた。ありがとう。
今日も朝が訪れた ありがとう。
すべてに すべてにありがとう。 心がありがとうの涙でいっぱいになります。

世界中からの応援も ありがとう。
ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう
ありがとうを思うだけでも 心のがんばる栄養になります。
今日もたくさんのありがとう栄養でがんばります。

ターミー